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坂出市の西庄町にある八十場、地名でもある。本来の意味からいうと「弥蘇場」と書くのが正しそうである。白峯宮・四国88箇所第79番札所高照院から西方すぐのところにある。 |
第12代景行天皇の頃(AD93年)、土佐に大魚が現れ人や船を飲んで悪事を働いた。天皇は息子の日本武尊に命じたところ、息子の霊子(武殻王・たけかいこおう)の派遣を進言し、霊子が退治に出た。 大魚は鳴門から瀬戸内海に入り、景行天皇24年(AD94年)には讃岐国の大槌島・小槌島辺りまでやってきた。霊子は讃岐に退治に出かけた。大群であったが一飲みに飲まれてしまった。しかし腹の中で火を燃やして退治し、魚の腹を切り裂いて出てきた。大魚の死体は坂出市の福江の浜に流れ着いた。 そのとき1人の子供が現れ、水を差し出した。霊子はそれを飲み、元気が沸いたので、水のありかを教えてもらい、大魚の中で死んだようになっている兵士たちに飲ませたところ、たちまち元気になった。 このためこの霊泉を「弥蘇場」という。また一説には88人の兵士を救った、ともある。 霊子・武殻王及び兵士はこの後讃岐に残り、そのため「讃留霊王」と呼ばれる。住まい・古墳の跡として坂出市より南方の飯山町に讃留霊王神社・墳墓というのがある。またこの話は四国88箇所第86番奥の院・地蔵寺の魚霊堂(うおのみどう)の話とも合致する。 |
さてこれは古い神話にも近い話であるが、ここが蘇生などの霊泉であることにより、崇徳天皇崩御の際に、都の指示を待つ間、遺体が20日間安置された。 さてここはところてん屋さんでも有名である。現在は水質調査もきちんとされ衛生面は何の問題もなく、へんろ旅の休み場として一息つくところである。 店内の石造物を載せておく。何かしら昔からお祀りがされていたのであろう。 |
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さて八十場ところてん屋さんの隣は地元の墓場であるが、その間を上る道がある。こちらが金山大神であり、第79番奥の院・瑠璃光寺になっている。山道であるが10分くらいで着く。 |
