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つ ぼ さ か で ら
壺阪寺
(南法華寺)



猿石
山号:壺阪山
開基:弁基上人
本尊:十一面千手千眼観音
宗派:真言宗豊山派

西国33箇所観音霊場 第6番札所
役行者集印巡り

住所:奈良県高市郡高取町壺阪3
電話:0744-52-2016
入山料:500円
(参拝の際にはご確認ください)


山門

因幡堂

愛染堂

大石堂

 近鉄吉野線壺阪山駅を降り、壺阪寺行きバス終点。到着すると何かものすごいものが見えてくる。正式名称は南法華寺(北法華寺は清水寺)らしいが「壺阪寺」としか言わない。バス停広場から少し歩くと、左手に入り口が見えてくる。

 元々は飛鳥を経て、吉野・大峯に行くための最短コースの沿道であり、人の往来は多かった模様である。



回廊

本堂

 「南法華寺古老伝」によると、大宝3年(703)元興寺の弁基上人がこの霊峰で修行していたところ、秘蔵の水晶の壺の中に観音様が写し出された。その壺を阪の上に祀り、写し出された観音様を模刻し本尊としてお祀りしたのが始まりとのこと。人々は弁基上人を「壺阪上人」と呼び、それを知った元正天皇は養老元年(717)八角堂を建立して壺を納め、観音像を安置、礼堂・宝塔・鐘楼・経蔵などを整備した。

 この寺は「続日本記」、「枕草子」、「三代実録」などによると、高野山をも凌ぐようなたいへんな大寺であったらしい。本堂は、現在のものは江戸時代の建立であるが、大同3年(808)建立時から場所が変わっていないそうである。



慈眼茶

魔よけ面

 御本尊は眼病に霊験あらたかな仏様として信仰が厚い。境内真中で振舞われている慈眼茶も、眼病のお茶らしい。また境内のいたるところで目薬が販売されているが、大変有名らしい。



お里・沢市像

お里観音

本堂前の松

阿弥陀堂

 さてこの寺で眼病の話とくれば、有名なのはお里・沢市であろう。ちゃんと像がある。

 沢市は幼い頃疱瘡(天然痘)にかかり、失明し顔にも醜く痘痕の残る身となった。一方でお里は両親と死別し、沢市の両親に引き取られて、沢市と兄弟のように育てられ、器量のよい美しい娘となった。2人は夫婦となり、貧しいながらもつつましやかに過ごしていた。

 しかし夫婦になって3年、お里は毎晩出かけるようになった。沢市は、美しいお里だから醜い自分を嫌い、他の男と逢引しているのではないかと疑い、事の真相を打ち明けて欲しいと申し出る。

 するとお里は、沢市の目を治してもらうため、眼病にご利益のある壺阪の観音様に、願掛けのため毎晩通っていたことを打ち明ける。沢市は自分の疑いを恥じて、今晩は一緒に行こうと夫婦揃って壺阪寺に向かった。

 お里に連れられて観音様にお参りにきた沢市は、ここで3日間願掛けをすると言う。お里は用事を済ませに一旦家に帰る。だが願掛けなどで目が治るとは信じられない沢市は、やはり自分がいるだけお里には邪魔であろうと、谷に身を投じる。

 お里が戻ると、そこには杖だけが残っている。谷を覗き込むと沢市の亡骸が見える。お参りを勧めた手前、お里ももがき苦しみ、沢市を追って谷に身を投じる。

 するとそこに観音様が現れ、2人の夫婦愛に感じ入り、2人を助け、沢市の目を開けてくれたのだった。

 「3つ違いの兄さんと
  いうて暮らしてゐる内に
  情けなやこなさんは
  生まれも付かぬ疱瘡で
  眼かいの見えぬ其上に
  貧苦にせまれど何のその
  一旦殿御の沢市様
  たとへ火の中水の底
  未来までも夫婦ぢやと
  思うばかりかコレ申し……」

 浄瑠璃・歌舞伎などでお馴染みの、有名な「壺阪霊験記」である。誰でも知っているであろう、その舞台がここである。



三重塔

弘法大師像

役行者堂


仏足石

 本堂境内の一面には、お釈迦様の生涯を描いたレリーフがある。レリーフを伝って奥へ進むと、天竺門とあり、道路の下を通り抜けて奥の院へとつながる。



天竺門

天竺渡来大観音石像

大涅槃石像釈迦如来

 奥の院は、寺のインドとの交流から、インドから送られたという大観音像(高さ20m)や大涅槃像(長さ8m)が並ぶ。最初に見えていた大きな観音様はこれである。



五百羅漢

 拝観の後、寺の裏山へ行くと、地面の岩に刻まれたおびただしい数の五百羅漢などの野仏に出会う。もう少し裏のほうへ進むと、ここに高取城の石垣の跡、更に山中へ進むと、最初の猿石や不動明王に出会う。壺阪寺だけでなく、この地にいろいろな信仰や勢力があったことがよく分かる。



高取城址

不動像


西国観音御朱印

奥の院観音御朱印

役行者御朱印