開基:豊然上人・大口大領 本尊:十一面観音 宗派:天台宗 西国33観音霊場 第33番満願霊場
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西国33観音霊場、紀伊半島最南端・那智・青岸渡寺から始まり、和歌山・奈良・大阪・京都・兵庫・滋賀各府県、南は那智の滝から北は舞鶴・若狭湾、そして琵琶湖も越え、ここに遂に岐阜県に入る。 関西方面からだとJRは米原または長浜まで、となるがその米原駅から6駅ほどで大垣駅となる。大垣駅より近鉄で揖斐駅下車、バス15分。大垣駅から樽見線に乗り換えて谷汲口駅からバス15分。この他、もう少し東へ行って岐阜駅から名鉄に乗り換えて、終点谷汲駅下車、ここから徒歩1km。 別に何を強制するわけでもないが、これは西国観音巡礼、これまで関西をどうして交通機関を使ってきたか?田舎でもJR、路線であれば近鉄、ならば聞いたこともない「樽見鉄道」だの「名鉄」だのが「便利」などという指南書は、「どれに乗ればよいのかね?」「先生こちらでございます」という札付きであることは丸見え。実際JR〜近鉄で安心して行けた。寺の働きや近郊の動きもあるのでよく調べられればと思うが、安心できる計画の立つ交通を選びたいのは、参詣者の望みであるのは当たり前。 |
法然院、明王院、地蔵院を左右に見ながら、108基の石灯籠の並ぶ参道を本堂へと進む。 また本堂内は戒壇巡りがある。 |
延暦17年(798)の創建寺伝には次のような云われがある。奥州会津黒河郷富岡(現福島県会津高田町)の大口大領(おおぐちだいりょう)は熱心な観音信者であった。夢のお告げにより観音像の作成を発起し、京都まで来て文殊大士に十一面観音を作らせた。そして郷里へ持ち帰ろうとしが、何故かここ谷汲で像が重くなり、全く動かなくなった。大領は、これは観音様がここで留まられることを望んでいるに違いない、と思い、この地で修行をしていた豊然(ぶぜん)上人を訪ね、堂を建立し像を安置した。堂の近くの岩穴から油が湧き出し、灯明に困ることはなかったと云う。 この話を聞かれた醍醐天皇は、山号・谷汲山と寺号・華厳寺の扁額を賜った。観音像に華厳宗が写経されていることから寺号が由来している。天慶7年(941)朱雀天皇が勅願寺とされ、寺は大いに隆盛したが、応仁の乱で御本尊のみに衰微、文明年間(1469〜87)に堂宇が再建された。 本堂からは続きで笈摺堂などの堂宇へと廊が続く。笈摺堂は満願の奉納物を納めるお堂であり、数多くの千羽鶴の中に、衣や杖などの巡礼用具が納められている。更に裏に回ると満願堂。最後の最後まできちんとお参りしたい。 |
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ここのご詠歌は 本堂中央前の両脇の柱には青銅製の精進落としの鯉がある。参詣者はこれに触れ、霊場巡りを終え俗界に帰る。どしゃ降りの大雨の中、俗世に帰ってきた私であった。 |
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