開基:麻呂子僧正 本尊:當麻曼荼羅(蓮糸大曼荼羅) 宗派:高野山真言宗・浄土宗 (當麻寺) 新西国33観音霊場 第11番札所(當麻寺) 仏塔古寺18尊 第8番札所(西南院) 関西花の寺 第21番札所(西南院) 役行者集印巡り(當麻寺・當麻寺中の坊) 円光大師25霊場 第9番札所(奥の院) 西山大師16霊場 第14番札所(奥の院)
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近鉄南大阪線当麻駅より西に向かって歩いていくと、「当麻蹶速の塚」「當麻町相撲館けはや座」などが見えてくる。何か相撲発祥の地だとか。 |
「当麻」駅だけど「當麻」町だなあだとか思いながら、ふと自分の足元を見ると、道路の下水道の丸い蓋に2つの三重塔の絵が描いてある。この時代の寺は三重、五重いろいろあるが、東西の塔が揃って損傷せずに現在まで残っているのはここだけだとか。歩んでいくと山が迫る前方左手に2つの塔が現れてくる。 |
推古天皇20年(612)に用明天皇の皇子、麻呂子親王が御兄聖徳太子の教えにより、河内国山田郷に一寺を建て丈六の弥勒像を安置し、萬法蔵院禅林寺を草創されたのを、70年ほど後、親王の孫当麻国見が、役小角練行の地に遷造し、天武天皇9年、白鳳12年(681)2月15日に起工、同16年に金堂、講堂、千手堂、東西両塔などが完成、百済の恵潅僧正が導師となって、諸堂諸仏の供養を修し、寺号を当麻寺と改めた。 中将姫は藤原不比等から分かれた藤原四家の筆頭南家の出身で、横佩大納言豊成の娘。17才の時、称賛浄土経千巻を当麻寺に納め、天平宝字7年(763)6月15日に尼となり、この世で生身の阿弥陀如来を拝みたいと、7日間の祈願をこめていた。20日の夜、1人の不思議な尼が現れ、「蓮の茎100駄を集めよ」と言った。淳仁天皇がお聞きになり近江・河内・大和から蓮の茎100駄を集めた。この不思議な尼はこれを井戸に浸し、色糸を引き出した。23日の夜、また不思議な尼が現れ、先の尼と共に、縦横1丈5尺(約4.5m四方)の大曼荼羅を織りあげ、節のない竹を軸として懸けられたと伝えられている。 これがご本尊の蓮糸大曼荼羅の謂れである。本堂の内陣に入り、脇仏の真中に、大曼荼羅を、それもかなり間近で目の前にすると、一瞬「え、ご本尊って」とガイドブックや資料を見てしまう。「『仏像』と言われるものが真中にあるもの」ということに慣れている者としては、何に対して手を合わせるのかと戸惑うのであるが、至近距離でこの大きさとその細かさに圧倒される。これがご本尊である。本堂・ご本尊共に国宝である。尚、このご本尊の右横に横向きに中将姫の像があるのでお見逃しのないように。 本堂手前の左右の金堂・講堂にはいろいろな寺宝の仏像が納められている。金堂の弥勒仏(国宝)は681年の開眼、つまり中将姫が大曼荼羅を作成される前のご本尊が大切に保存され今の時代までその姿を見せてくれている。しかし『弥勒仏』なので、56億7000万年後までいていただかないと困るなあと、遠い未来をも思うお姿である。中将姫・御本尊などにおいて、少し北方の石光寺との関連において、日本最古の弥勒仏であると云う。 |
本堂手前の左手にある中の坊は役行者に始まる腹の薬、陀羅尼助の釜がある。ご本尊は門右手にある観音堂の11面観音である。 新西国、仏塔古寺18尊、関西花の寺など、巡礼をするたびに、何度訪れれば終わるのかと思うほど度々訪れるのであるが、よく見ると、東南院、西南院、奥の院等、結局當麻寺というのは8ヶ寺の寺院より構成されており、巡礼だけでなくても庭園や季節の花など見るべきところは多い。何を言っても最初に述べた東西の塔は日本唯一であり目を引くが、宝物館辺りまで1度に詳しく見ようとすると、その堂宇と寺仏の多さに大寺であることがよくわかる。 |
ここではもう1つだけ。金堂裏手にある石灯篭は白鳳時代のもので日本最古である。高さ2.17m、それが最初であるから形式美を言うのは論外かと思うが、通り過ぎても、屋根囲いがあっても、気付かずに忘れてしまいそうである。 結局のところ7世紀代の、それもこれほど現存物(またはその再現状態)が多い寺に対し、その後の時代の『形式』などを当てはめようとするのが土台無理な話に思える。結局、二上山に対するこの地に芽生えた信仰こそが、今これほどの堂宇に成って大切に保存されている事実しかない。 |
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