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【JTB】京都・大阪・近畿のおすすめ旅館・ホテル


お く の い ん ・ こ う や さ ん
奥の院・高野山



町石
住所:和歌山県伊都郡高野町大字高野山
電話:0736-56-3405(一の橋案内所)
(参拝の際にはご確認ください)


一の橋

 高野山最大の聖域、奥の院は大師の眠る場所である。今の科学を持っては、奥の院のその奥の先にあるものは「御廟」であるが、「入定」という言葉は正式には弘法大師にだけ用いられ、大師は死んだのではなく禅定に入っているだけだ、というのが通常の受け取り方である。ありとあらゆる高僧、ましてや天皇・皇族であっても、「お隠れになる」「入滅」など、尊敬をいくら込めても「死」という言葉を使うが、弘法大師だけは違う。

 「大師のもとで」という史上の人物の墓がこの奥の院の地にある。その数20万とも30万とも言われる。奥の院と一口に言うが、町石は17〜36まで19区間、つまりほとんど2kmほどの距離がある。その間、墓また墓である。主に武将・大名のものが多いが、天皇であろうが他の宗教の開祖であろうが、ありとあらゆる著名人がその業績の分野に関係なく並んでいる。だから最近では、会社の起業をした人などもそうである。その全てはこの奥の院入り口である一の橋から始まる。



阿波蜂須賀家墓

中の橋

汗かき地蔵

赤穂浪士浅野家墓

芭蕉句碑

休憩所

護摩堂

 承和2年(835)3月21日午前4時、法印を結ばれた大師は静かに目を閉じすみやかに入定された。御年62歳であった。大師は庵から奥の院へ移されて、御廟の部屋に安置され、後に入り口は石の壇によって狭くふさがれた。

 大師の都での教え所である東寺では、今でも大師の入定日21日に弘法市が毎月開かれる。四国遍路を終えた時、第88番札所大窪寺を持って結願というが、最後にはこの高野山奥の院の納経をする。西国33観音巡礼でも同じ、他いろいろな巡礼でも、最終札所の後に高野山奥の院の御納経というのはある。遠い地域の方は特に無理はなさらないであろうが、通常そういう仕組みになっている模様である。

 大師は自分の教えの根本道場として天空の聖域・高野山をお望みになったが、そこに築かれた天をも貫かん根本大塔やそれぞれの学習の場である各寺院とともに、この奥の院も人間の最期のあり方を具現化されたものかもしれないと感じる。



御廟の橋

 一の橋から始まり、川を渡る橋の道を行き着くと、最後の橋が御廟の橋となる。これより奥は撮影禁止である。どう見てもこの川と橋の構造は、いずれ行く三途の川のような気がしてならないのは私だけでもあるまい。誰でもそのうちに確認できるであろう。



御朱印