開基:役行者 本尊:如意輪観音 宗派:真言宗室生寺派 仏塔古寺18尊 第18番札所 役行者集印巡り
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近鉄大阪線では急行が室生口大野駅に停まる。室生の迎え口としては、駅近くにある大野寺も含めて「室生寺の西の大門」の玄関口として、対岸の弥勒磨崖仏がひときわ目立ち、一大聖地・大きな風景が室生の自然と共生している。 閑散とする冬期はバスの便が少なく、朝遅く夕方には早く終わっている。しかし花の時期から紅葉までは随分便利になっている。バスで15分というが、直線距離約3〜4kmにしては道がくねっており、歩けば1時間ではどうかな?ときついと思う。室生の山に囲まれた聖地、何を言っても「女人高野」として、また屋外にあるものとしては日本最小の五重塔、シャクナゲで有名な一大観光地である。 平成10年(1998)9月22日の台風7号では国宝の五重塔は大変な被害に遭った。が、それもまた自然のあるべき姿であり、その後の復旧工事も室生の自然によって行われ、元の姿を見せている。とはいえ、元来はこのような桧皮葺ではなかったらしい。 |
開山は681年役行者によって行われた。平安時代には興福寺の僧、賢憬が山部親王(後の桓武天皇)の病気祈願を行い、室生山寺の名を賜った。 弘法大師は帰唐後、この地を真言道場とした。当時の高野山が女人禁制であったのに対し、こちらは女人の参詣が許され「女人高野」と呼ばれるようになった。女人高野には、弘法大師母公御廟所和歌山県九度山慈尊院、大阪府河内長野市金剛寺、三重県勢和村神宮寺なども呼ばれた。結局のところ高野山信仰へのあこがれは強烈だったのであろう、女人高野が数々あるのも無理はない。それは高野山に登って、奥の院の墓石を見ればわかる。歴史上のほとんどの人物が「弘法大師の下で」とあこがれていたその事実は強烈に伝わってくる。 |
この寺の歴史は「宀一秘記」として残っている。この室生の地がいかにして信仰の対象、聖地として発展していったかがわかるそうであるが、そんなこと知らなくても「花の季節だね」ということで見に行けばわかる。 金堂は釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、文殊菩薩、十一面観音及び運慶作と伝えられる十二神将の国宝・重文が並んでいる。像の背後にある独特の板壁とともに、あでやかな空間が作り出されている。 少し上に上がるといよいよ本堂。御本尊の如意輪観音は河内長野の観心寺、兵庫の神呪寺とともに日本三如意輪のひとつ、弘法大師の作。 |
本堂脇の一段上段にある、屋外にある日本最小の五重塔は平安初期の傑作である。高さ16.10m、初重総間2.45mしかなく、塔内を登っていくシステムにはなり得ない高さである。実際、平成10年の被害により、幸いにとはいえないのだが、内部に納められていた五智如来が本堂で公開されていた。秘仏であったからこのようなことはなかったのであろうが。だが実際に目の前にその大きさを見ると、高さ数10cmのミニチュアのようなご本尊なのかと、びっくりしてしまうほどかわいらしい。 |
まあその道の専門の方には無用な話であったが、とにかくこの寺の寺宝だけで本が1冊作られてしまうほど、独特で繊細な美しさを誇っている。「四季が美しいから」「山深くて気持ちがよいから」などではなくても、人がそこに寄せられるのも無理はない。 |
さて五重塔脇を過ぎて行くと、少し上り下りがきつくなり、最後の上りはきついが、奥の院に着く。位牌堂は舞台造り、その向こうにある御影堂は独特である。御影堂脇奥には七重石燈がある。 |
御影堂には弘法大師42歳像が安置されている。山の中の寺であり、その地形から難しいつくりの建造物が多いが、奥の院に向けての山中は一段と厳しくなる。そんな自然の地形を生かしたようなつくりの建物は、他に類を見ないものばかりである。 「女人高野」とはよく言ったものである。東大寺に代表される仁王さんや不動明王、新薬師寺の12神将などのような、己の悪い心を諭すための厳しい仏像が必ずどこかにはいるのだが、この寺には優しく包んでくれそうなお姿ばかりである。主に平安初期のありとあらゆる文化が詰まっている。この時期のことでわからなければこの寺に行けばいい、体現できる。 |
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