開基:勝道上人 本尊:阿弥陀如来 宗派:高野山真言宗 新西国観音霊場 第13番 新西国霊場御本尊:千手観音(観音堂)
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JR宝塚線川西池田駅または阪急宝塚線雲雀ヶ丘花屋敷駅下車、北から道なりに北西方面へ。バスなら10分、徒歩だと1.5km、20分くらいか。 仁王門は非常に珍しい形をしている、明治初期の洋風建築。しかし仁王像は多田院から移設された鎌倉後期のもの。 |
開基は勝道上人による。勝道上人は日光開山の祖である。日光は東照宮の名前だけが著名であるが、たくさんの寺社がある。勝道上人は天平7年(735)4月21日、高岡郷(栃木県真岡市)で生まれた方である。天平神護2年(766)頃に日光に寺社を建立したらしい。勝道上人は聖武天皇の勅願により、全国に霊場を拓いていった方であり、満願上人とも呼ばれる。 しかし、この寺の歴史はそれより古く神亀2年(725)となる。その前年比叡の北方、衣川にふしぎな光が湖を照らし、その光の元に洞窟があり、千手観音があった。これを霊夢によってこの地にお祀りすることとなり、これが観音堂秘仏の千手観音である。御本尊のお祀りと寺の開基は勝道上人による、ということになっているが、実際には40年程度の差があるので、この辺りはよく分からない。 |
この寺はまた、多田源氏ゆかりの寺でもある。清和天皇の孫・六孫王経基の長男満仲は源氏姓を名乗り、摂津守として多田壮(川西氏多田)に居を構えて摂津国を支配した。この寺を祈祷所として深く信仰し、自刻の毘沙門天像を奉祀した。 三廟は満仲の子・美女丸、その身代わり幸寿丸、その父藤原仲光の供養塔、法華塔(九重塔)は正応6年(1293)に源氏一族の法尼妙阿が両親の極楽往生を願って建立したものである。 |
戦国の兵火には堂右は全焼し、本坊・円覚院だけが残ったが、江戸時代・17世紀中期から復興され、坊も増えていった。しかし明治には円覚院だけが残り、本坊として現在に至っている。 |
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