【JTB】京都・大阪・近畿のおすすめ旅館・ホテル


こ ん ご う じ
金剛寺
(女人高野)



正門
山号:天野山
開基:行基
中興:阿観上人
本尊:大日如来
宗派:真言宗御室派大本山

新西国観音霊場 第7番札所

住所:大阪府河内長野市天野町996
電話:0721-52-2046
拝観料:宝物館、庭園、北朝御座所300円
(参拝の際にはご確認ください)


多宝塔
 南海高野線または近鉄長野線の河内長野駅から東に行くと観心寺、西に行くと金剛寺である。駅からは南海バスで天野山下車。こちらは爪楊枝の生産地、全国シェア90%とは驚きである。


金堂

御影堂
 河内長野市は金剛葛城山脈に囲まれ、東は奈良県、南は和歌山県に隣接する大阪府の南東に位置する山の中の町である。金剛山は役行者によって開かれた信仰の場所。一方で南隣の和歌山県への道は高野山へと通じる。

 行基は聖武天皇の勅により開基、弘法大師は高野山金剛峰寺に相当する霊域としてここを選ばれた。しばらく衰微したが平安末期、高野山の阿観僧正が来られ、後白河法皇に復興を嘆願、高野山から真如親王筆の弘法大師尊像第3転写像を迎え、寺領600町歩を有する大寺となった。明治の初めまで高野山が女人禁制であったため、こちらに女性が参詣し女人高野といわれる。女人高野は他に和歌山県九度山慈尊院(弘法大師母公御廟所)奈良県室生村室生寺三重県勢和村神宮寺などがある。



天野殿(食堂)

磨尼院(南朝行在所)
 南北朝の時代はこの地はある意味日本の中心となる。天平9年(1354)3月22日、北朝の光厳、光明、崇光の3上皇が、そして同年10月28日後村上天皇がここへ移られた。そして北朝は4年間、御村上天皇は6年間行在された。その後文中2年(1373)まで20年間、ここは行宮となった。後村上天皇は金堂手前の食堂を正殿とされたため、天野行宮、天野殿などと呼ばれる。


本坊庭園
 境内を出て道をはさんで本坊がある。こちらは寺宝が見られる。また庭園は室町時代の枯山水の造園、桃山時代に阿波(徳島)の殿様蜂須賀公が手を加えられた茶庭となっている。

 河内長野は観心寺・金剛寺の両寺を有する南朝ゆかりの地であるとともに、武家社会により翻弄された南北朝時代の名残が至るところに見える。1392年までの南北朝統一までの間、あるいはこれからまだまだ続いた武家社会の中で、苦悩した天皇家の跡が垣間見える。


新西国観音御朱印