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こ か わ で ら
粉河寺



本堂
山号:風猛山
開基:大伴孔子古(おおとものくじこ)
本尊:千手千眼観音
宗派:粉河観音宗総本山

西国33観音霊場 第3番札所

住所:和歌山県那賀郡粉河町2787
電話:0736-73-4830
入山料:無料
本堂拝観料:300円
拝観時間:8:00-17:00
(参拝の際にはご確認ください)


大門(工事中)
 JR和歌山駅からJR和歌山線で東へ。だんだんと梅畑の多い地域になってくる。粉河駅はそのような中にある。粉河駅で下り、町並みを通り抜け、少し北に歩くと大門へ。私が行った時は工事中であった。


童男堂

中門
 寺の起源は有名な国宝「粉河寺縁起」という巻物にかかれている。鎌倉初期のものらしい。

 この地に住んでいた猟師大伴孔子古が獲物を狙っていたとき、山中に光明を発する霊地を見つけ、弓矢を捨て尊像を作ろうと発心した。1月の後のある日、1人の童子(童男行者)が現れ一夜の宿を乞うた。孔子古の願いを聞いた童子は、泊めてもらったお礼に金色の千手観音を刻み、どことなく姿を消した。この童子こそ観音様の化身と覚り、その尊像をお祀りした。宝亀元年(770)のことである。

 河内国の長者塩川左太夫の娘が危篤状態のとき、童子が現れ、祈祷して重病を治してくれた。童子は「もし、用があれば粉河を尋ねよ」と言い残し、娘の箸箱を受け取って立ち去った。翌年の春、左太夫一家が粉河を訪れると、小堂に安置されている千手観音の手に箸箱がかかっていた。感激した左太夫は孔子古と力をあわせ、粉川寺の興隆に尽力した。左太夫は米の粉を流したような、白くなった川をたどって小堂に着くことができたため、この寺の名前があるということである。

 鎌倉時代には寺坊550を数えたとされるが秀吉の根来攻めによって焼亡。江戸時代、紀州徳川家によって再興された。


本堂
 本堂は高さ33m、享保5年(1720)の再建。重層八棟造りという形式で、大変大きなお堂である。本堂前の庭と境内との段差に合わせるように作られた庭園はいつも美しい。境内は1万5000坪あるそうである。

 その他、今は本堂内に置かれた左甚五郎作の「門前の虎」、御本尊の化身と言われる「童男大師石造」及びその「出現池」は中門より手前の童男堂横にある。

 古い謂れがあり、そして大きく優雅な寺である。時期には桜が美しいが、一方で梅の産地でもある。尚、「粉河寺縁起絵巻」の実物は後白河法王が書かせたとも、鳥羽僧正筆とも言われ、京都国立博物館にある。


西国観音御朱印