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か ん の ん し ょ う じ
観音正寺
仏法興隆寺・願成就寺



神社(左手より繖山登山口)
山号:繖山(きぬがさやま)
開基:聖徳太子
本尊:千手千眼観音
宗派:単立

西国33観音 第32番札所

住所:滋賀県蒲生郡安土町石寺2
電話:0748-46-2549
(参拝の際にはご確認ください)


参道

 繖山は標高432.9m、平坦な安土町の中にほつんとある。登山口は四方にある模様で自動車の登山も可能である。が、寺正面口としてはJR東海道線能登川駅からバスで観音寺口下車、そうすると神社があるので、その横手の細い道を見ると観音正寺参道の看板がある。45分程度の山道を登ると寺に着く。コースによっては、桑実寺方面からだと、JR安土駅から徒歩なので1時間程度、他は車によるかしないと最寄駅がない。まあ安土城から東海道線を挟んで、新幹線との間の山。



本坊

本堂

 推古天皇13年(605)聖徳太子の開創と云われる。太子が近江国を旅していると、葦原から人魚が現れた。「私は生前に殺傷をこととし、仏法を信じなかったのでこのような姿となった。どうかお救いください。」と哀願され、太子が建立されたという。本堂須弥段の裏にはこのときの人魚のミイラがある。御本尊千手千眼観音は33年に一度の御開帳。

 武家社会・鎌倉〜室町の時代には近江国守護の佐々木六角氏の庇護を受け、子院33を数える大寺となった。しかし戦国の世となり、山頂には観音寺城が築かれたが永禄11年(1568)織田信長によって滅ぼされ、城も寺も焼失した。安土城はすぐ目の前である。慶長11年(1606)教林坊の宗徳法橋によって復興した。

 というのも全て、10年程前までのお話。平成5年5月22日の大火は本堂を焼失、御本尊、人魚のミイラ他寺宝の数々を焼失してしまった。



工房

御本尊完成予定図

 私が行った際も本堂はプレハブ、古い御本尊も何もなし、庭・山頂にはいろいろな仏像が野ざらし状態であった。が、新御本尊は寺のご努力によりインド政府より、23トンの白檀を贈られた。本堂には仮の約1mくらいの御本尊が安置されており、それの拡大版・約6mの御本尊が工房の中で作成中であった。写真は本坊に掲げられた完成予定図である、掲載が構わないのかどうか。仮御本尊・新しい御本尊共このような後背部に千本の手をもつ観音像である。



大仏

太子像

聖観音像

 さてそんな中、待ちに待ったうれしいニュースである。


滋賀ニュース - 平成16年4月21日(水)20時11分
総白檀の新本尊、将来は国宝に 来月22日落慶法要−−安土町・観音正寺 /滋賀

 ◇インドにお百度、住職一息

 火災から11年ぶりに本堂が再建され、本堂とともに焼失した国の重文「千手観音菩薩立像」に代わる新本尊が19日安置された安土町の西国32番札所・観音正寺。岡村潤應住職らは「ようやく全国の観音信徒のみなさんに顔向けができるようになった」と一息つき、5月22日の落慶法要に向け本格的な準備に入った。

 新本尊の千手千眼観世音菩薩坐像は「観音像は白檀で作るべし」の教えから総白檀(びゃくだん)で、光背を含め6メートルを超す大仏像が今後建立されることはなさそう。信徒らから「将来、国宝になるのでは」との話も出ている。

 1400年続く古刹(こさつ)の本堂や本尊を火災で失った関係者は、強い決意で復興にあたった。何度もインドに足を運び、インド政府の特別の取り計らいで輸出禁止の白檀を23トンも輸入。一方、信徒への托(たく)鉢などで再建資金を集めた。岡村住職は「何から何まで、信徒さんにお世話になってしまった。これで何とかお許しが得られそう」と、新本尊に手を合わせた。

 これまで水も出なかった山中だが、再建工事中に突然、大量のわき水を掘り当て、今後の防火に役立つ水を得た。また、台風で樹齢200年のヒノキが倒れ、新本堂の外陣の柱になった。幹の周囲1.8メートル。柱からは西国33カ所と同じ数の節が見つかり、「抱き付き柱」と命名した。

 落慶法要には、西国33番札所の全札所の住職が駆け付け、総白檀の新本尊開眼法要も営まれる。【斎藤和夫】(毎日新聞)

[4月21日20時11分更新]


 ご住職のご苦労は計り知れない。おめでたいことである。


滋賀ニュース - 5月22日(土)21時40分
焼失した本堂と本尊が完成 安土町 観音正寺で落慶・開眼法要

 1993年5月の火災で、本堂と本尊を焼失した安土町石寺の観音正寺で、新たな本堂と本尊「千手千眼十一面観世音菩薩座像」がこのほど完成、火災のあった日と同じ22日に落慶・開眼法要が営まれた。同寺は西国観音霊場32番札所で、法要には西国三十三所観音霊場すべての住職が参列した。

 11年前の火災では、室町時代の作とされる本尊の千手観音立像(重文)と、明治時代の建立と伝わる本堂が焼失した。経文に「観音像は白檀(びゃくだん)(香木)にて像形を作るべし」と記されていることから、同寺の岡村潤應住職(65)らが本尊制作のため白檀の原産地であるインド政府に輸入を依頼。同国では禁輸品となっているが、何度も依頼した結果、特別に許可された。

 法要には西国三十三所観音霊場の住職や来賓ら110人が参列。岡村住職が、本尊の右目と鼻に竹の棒を顔に付けずになぞる開眼作法を行った。住職らの読経の後、特別に招かれたインドのマニラール・トリバティ駐日大使が「インド全国民を代表して祈りをささげます。ご本尊が日本とインド両国の友好のシンボルとなることを願っています」と祝辞を述べた。法要の最後には、岡村住職が目を潤ませながら「ありがとうございました」と声を詰まらせ、参列者に深く頭を下げた。

 約500人の参拝客も訪れ、ともに本堂と本尊の完成を祝った。(京都新聞)

[5月22日21時40分更新]



西国観音御朱印

近江西国御朱印