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か く ま ん じ
鶴満寺



山門
山号:雲松山
開基:慈覚大師
中興:上田宗右衛門廣久
本尊:阿弥陀如来
宗派:天台真盛宗

新西国観音霊場 第3番
新西国霊場御本尊:子安聖観音(観音堂)

住所:大阪府大阪市北区長柄東1-3-12
電話:06-6351-0675
(参拝の際にはご確認ください)


鐘楼

 大阪市北区、地下鉄になるのだろうか、天六の駅を東に出、天六筋の東側に長柄國分寺があるが、もう少し東側に広い南北の通りがあり、その東に八角形の楼が見える。

 申し訳ない言い方なのかもしれないが、新西国巡礼において、1番四天王寺→客番清水寺→2番太融寺→3番鶴満寺、この大阪市内のミナミからキタ辺りの移動に「運転手付き」で移動しよう、それは無謀である。街中の移動は公共交通に限る。この場合も地下鉄のほうがはるかに簡単。しかし、ご老体の方々には失礼な言い方をすれば、「大阪駅から2駅、歩け!」である。寺参りが「老人趣向」と思う辺りが既にずれている。己を良くするためにどうあるべきか?は少なくとも弘法大師が厄年頃に四国を歩いたように、その頃くらいに気が付かないようでは、と思う。指南書書きは良いが、交通案内が「タクシー」では覚束ない。



本堂

 さて、それはこの寺の起源に関してもそうである。延享年中(1744〜1748)・道元法親王とあるが、検索ではどういう方なのかは分からなかった。この寺を調べてみると、それは奈良時代の円仁・慈覚大師の開基ともある。しかし円仁・天台延暦寺第3世座主は延暦13年(794)の生まれであり、奈良時代ではない。指南書を書くほどの人、寺の説明を住職直々に受けたろうに、タクシーの文句を書く暇があったらきちんと示して欲しいものである。

 またこの寺は当初河内にあり西中島南方、そしてここへと移転されてきたという。それは更にはその前に伊勢にあった、という話もある。転々としてきた模様である。

 結局のところ、こういった時代のことはあやふやであり、宝暦3年(1753)の豪商・上田宗右衛門廣久の発願によって、現在の地に中興された、ということがはっきりしている。本堂御本尊は阿弥陀如来であり、慈覚大師の作と云われる。



観音堂・八角楼

観音堂

 少し指南書において間違ったことを、きちんと指摘しておきたい。例えばこの寺では、新西国巡礼が多いのであろうから、新西国巡礼の御本尊である、観音堂の子安聖観音を「御本尊」と書いてある。そういう指南書は如何なものかと思う。勿論かなり大規模な寺もあるが、この寺においては本堂・阿弥陀如来が御本尊である。新西国巡礼紹介のための対象仏が御本尊であるかどうかは別の話である。寺の御本尊が巡礼の度に変わろうはずがない。

 ただ「観音堂の子安聖観音が新西国観音巡礼の対象である」ことを示すのであれば、「御本尊・阿弥陀如来、新西国観音本尊・子安聖観音(観音堂御本尊)」くらいの注意はして頂きたい。寺が多くの霊場になっているのは構わない。しかし霊場対象は寺であり、寺の御本尊を書き換えるのは表現方法として如何なものかと思う。それはここでたくさん書いているが、ここだけではないので気になる。例えば新西国では先の2番太融寺などは、そこに示した通り、たくさんの霊場になっている。別に構わないが、寺の御本尊と、その巡礼・霊場の対象仏はどこのお堂の何か、とくらいはきちんと指南して頂きたい。参考にならない。

 さて、新西国御本尊は観音堂の子安聖観音である。ここには西国33・秩父34・坂東33の観音が祀られ、百体観音と親しまれる。

 それは迷ったら分かりにくいが、この寺の前を通る大通りを通れば、八角楼があるので間違うことはなく、またそれは、比較的近年の再建であることも分かる。



観音堂前

 周囲は、大阪駅から少し離れているので、また通りも広いため、比較的開けっぴろげなところではあるが、一方で写真の通り隣接する高いビルにも囲まれている。新西国霊場は昭和7年の発願、西国の歴史とは桁が違う。だから「どうでも良い」とは参詣者は思っていない。それは信仰の対象として参るのである。それはそれなり、史実紹介は客観的に、古いから偉い・新しいからどうでもよい、などとは全く思わない。

 この街中で、3観音霊場・百体観音をお参りできるなんて、素晴らしいことだと思う。寺の権威をどう思うのかは、寺の古さや開基者の地位の高さ、建造物の古さ、一切関係ない。ここで言えば御本尊が慈覚大師謹刻であること、観音堂に百体観音があること、他いろいろ誇るべき寺であると思う。



新西国観音御朱印