開基:行基菩薩 本尊:千手観音 宗派:真言宗善通寺派 弥谷寺:四国88箇所 第71番札所 獅子の岩屋:四国88箇所 第71番奥の院
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香川県三豊郡三野町は善通寺市の西北隣であり、弥谷寺は弥谷山の麓にあり、数多くの階段の上にある山寺である。四国へんろの数多くの山寺は、現在はロープウェイ・ケーブル・バスなどの発達により、結構簡単に本堂まで行けるが、ここは階段の上に位置するため、まだそういう設備には残され、車を置いてから境内530余段と言われる階段の上り下りの中にある。 へんろ道からでも駐車場からでも、境内への階段に入ると俳句茶屋を通り抜けていく。更に上へは500円の通行料を払えば車でも行けるが、そこから上にも階段はいくらでもある。 |
俳句茶屋の上に山門があり、そこから262段の階段がある。賽の河原と呼ばれる。 |
賽の河原から三途の川を越えると、巨大な金銅製の金剛拳菩薩が待つ。元禄年間の覚林住僧の造立による、大変大きな菩薩像である。車も来てもここまで、更に108段の赤い階段の上に境内がある。 しかしそれも境内の最も低いところ、本坊や大師堂などであり、本堂やその他の多くの堂宇はまだまだこの上。 |
境内最上部にある本堂に至るには、大師堂前に足を踏み入れてから、更に170段の石段があり、たくさんの堂宇を越える。本堂は382mの弥谷山の絶壁に張り付くように建立されている。元来ここは死霊の行く山と信じられている。 元来は天平年間、行基菩薩の建立、中四国八国が眺められたので蓮華山八国寺と言う、第45代聖武天皇の勅願所であった。弘法大師はここで学問をされたということで、帰唐の後求聞持の秘法を修められている時、空中から五柄の宝剣が下り、千手観音を刻んで御本尊とした。それを中央の峰に埋めたことから剣五山の名が付き、多くの谷に囲まれるので弥谷寺と名付いた。 |
本堂下にある壁面の磨崖仏・弥陀三尊は弘法大師の作とも鎌倉時代のものとも云われる。重文指定されている、へんろ札所唯一のもの。 壁面は刻印がしやすいような質でもあるが、一方で浸食も簡単そうであり、崩れやすいように見える。三尊のひさしは現代に修正されたものか、とも見受けられる。質的には掘り易いところなのか、よく見れば本堂周囲や賽の河原の周囲などにも、多くの五輪塔の刻印などが多く見られる。それは南東方向に4kmくらい離れた、牛額寺などにも見受けられる。 |
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護摩堂は内部が岩窟になっており、ここで大師が瑜伽護摩をされたと云われる。 護摩堂から境内を下に下りず、東に取って行くと天霧山・天霧城方向になるらしい。 |
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さて、本堂から各堂宇を降りてくると、最初の階段の上が大師堂となっているが、ここも岩の中に埋もれるように建立されている。そして上がって後ろ向きに納経所横に大師堂があり、その更に奥に獅子の岩屋がある。 第71番奥の院である獅子の岩屋は、大師が幼少の頃に学問に励まれた場所だとか。中央・大師像、阿弥陀如来像・父君、弥勒菩薩像・母君を祀る、岩の中に掘られた堂である。 また元に戻って大師堂の後ろ側は位牌堂であり、不動明王を祀る。廊続きであるが、大師堂・獅子の岩屋・位牌堂、更には坊へと、複雑に別棟として建立されている。 |
弥谷寺は境内が非常に複雑で起伏に富み、非常に広い。知らない人は誰しもが、赤い階段を上って大師堂で納経すれば終わるように思っているが、そこから本堂は見えないほど上にある。山門をくぐってから随分と歩くが、堂宇もまた複雑に建立されている。 死者が集うと言われる仏の山としての信仰は古いらしいのだが、それを供養する雰囲気が寺全体に見られる。誰も見向きもしない、大師像斜め後の行基菩薩・報恩供養塔に書かれていることは、ここに残る長い歴史と信仰を表している。 |
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