開基:良弁僧正 本尊:勅封二臂如意輪観音 宗派:東寺真言宗大本山 西国33観音霊場 第13番札所 近江西国観音霊場 第3番札所
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大阪方面からだとJR新快速に乗り、京都を過ぎて人も少なくなると石山駅に停まる。ここからはバスまたは京阪石山坂本線終点石山寺駅まで。駅からは徒歩10分ほど、バスは門前に着く。 ここは琵琶湖からの瀬田川沿いで、瀬田の唐橋よりももう少し南になる。門前町の中にあるのはシジミ貝の供養塔だろうか。ここはシジミが美味いく、シジミ飯というのがある。 |
8世紀半ばの日本は鎮護国家のため、聖武天皇の勅により良弁僧正が東大寺の創建に取り掛かっていた。東大寺の木材は琵琶湖周辺の山々から切り出され、この地に集められ、瀬田川から宇治川を下り、木津川を上って奈良に運ばれた。この要衝に僧正が石山院を設けたのが天平勝宝元年(749)であり、これが創建とされる。本堂前真中にある珪灰岩は天然記念物であり、石山寺の名前の由来になっている。 一説には、東大寺大仏を荘厳にするよう命が出され、良弁僧正は金峯山の蔵王権現に祈ったところ、近江瀬田辺に観音の霊地があり、ここで祈願すれば得られると教えを受け、ここに如意輪観音を安置した。すると陸奥の金華山より金が掘出され大仏は見事な姿になった。その後如意輪観音が岩に固着して離れないため、ここに堂宇を建立した。というのが『石山寺縁起』や『元亭釈書』にある石山寺創建の伝説である。しかし大仏鋳造のための金が陸奥で発見され、到着していたというのは事実らしく、また石山の地が木材などの集散地であったことも事実であるらしい。良弁僧正は東大寺建立の任の後、天平宝字5年(761)から翌6年にかけて石山院を寺院にしている。 平安期になり都の貴族の石山信仰は盛んになり、文学でも蜻蛉日記、大和物語、栄華物語、更級日記などきりがない。が、最も有名なのは紫式部の『源氏物語』である。紫式部が本堂の一室(参籠室)にこもり、対岸の山の端から現れる中秋の名月を眺めて、源氏物語の須磨の巻から書き始めたのは有名な話、本堂横には「源氏の間」として紫式部の像がちゃんとある。裏山へ上ると豊浄殿という宝物殿があり、冬期以外は開館して、この寺ゆかりの寺宝、というか紫式部のゆかりのものであるが、を見ることができる。 |
さて本堂を過ぎ、一段上に上がると多宝塔。日本三名塔とはこの石山寺多宝塔、高野山金剛三昧院の北条政子建立の多宝塔、大阪府泉佐野市の慈眼院の多宝塔(いずれも国宝)を言う。しかしその中でも最も有名なものがここであろう。郵便切手の意匠になることも数限りない。建立は建久5年(1194)だとか、現存する中では日本最古を誇る。この多宝塔建立が源頼朝、高野山・金剛三昧院が妻・北条政子の建立であるが、金剛三昧院が頼朝の菩提を弔って貞応2(1223)年建立であることから、こちらが日本最古となる。 |
さて多宝塔を少し過ぎると月見亭がある。少し向こうには梅園、更に上っていくと豊浄殿(宝物館)となり、本堂裏山の園となっていく。花を見るところは数限りない。更に周ると紫式部の像も見えてくる。少し下りると一面の花園・無憂園となる。春先などはきれいである。 さらに本道裏から鐘楼に出て帰ると、弘法大師御影堂、大黒天堂などがありやっと出口に着く。寺のパンフレットによると、月見亭まで行って引き返すコースで30分、裏山まで周ってくるコースで60分となっているが、何度行って何度目に見ていても時間を忘れるし、いくら滞在しても見るものは尽きない感じがする。そういった感じは平安貴族と同じなのだろうか。だからこそこれまでに愛され、足繁く通う参詣者が後を絶たないのであろうか。紫式部ではないが「滞在すれば」となってしまうのは私だけでもないように思う。書いていて矛盾でもあるが、60分コースであろうが、このページであろうが、これで「語り尽くせた」という気がしない、いつまで書いてもきりがない、というのが本当の気持ちである。また行きたい。 |
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