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河内王朝(近つ飛鳥)は渡来した者などによって発展し、この寺も百済の王族・王仁氏の渡来によって始まる。王仁の子孫・辰孫王・・・・・王味沙によって継がれ、欽明30(570)年に王味沙が白猪連と改姓、更に養老4(720)年に葛井と改姓する。一族は新しい文明をもたらし、その功績により広大な地を賜り、寺の建立が始まった。神亀2年(725)聖武天皇の勅願により大伽藍が建立され、紫雲山剛林寺と名づけられた。稽文会・稽首勲の父子により御本尊の千手観音像が刻まれ、3月18日藤原朝臣房前を勅使に、行基菩薩を導師にして開眼された。
大同元年(806)、平城天皇の息子・阿保親王の勅により伽藍修復が行われ、更に在原業平が諸堂を造営された。永長元年(1096)には大和の国加留の住人・藤井安基が荒廃した伽藍を再建した。このことから安基の姓をとって藤井寺と呼ばれるようになった。藤井寺は地名として残ったが、寺の名前は同じ音でも「葛井寺」となっている。
有名なのは御本尊の千手観音様である。唐招提寺金堂、他では知られていないようであるが城之崎温泉寺観音堂の千手観音、再造されているものでは西国33観音32番観音正寺の観音様、或いは奈良桜井の音羽山観音寺などに、実際千本近くの手をもつ観音様がある。通常の千手観音は、胸の前に2本の手と、その他に40本の手を持ち、1本が人間の25倍の能力がある、とのことで一般に42本程度で千手観音と見るのだが、ここの御本尊は本当に千本(1043)の手を持つ。御開帳は毎月18日。
内陣が御開帳される毎月18日には、多くの信者で賑わう。内陣拝観により開扉された厨子の中に御本尊を伺うことができる。十一面・千手・千眼観音は、高さ101.0cmの台座の上に、像高131.3cmの坐像としてあるのだが、数mもあるものでもないので小さく予想していたのだが、意外と大きい。確かに人の座高よりは随分大きいわけではある。胸の前の手が2本、背から伸びる大き目の手が40本、そしてそれ以外の手が、俗に1000本ということで1042本という説があったのであるが、調査により小さな手は1001本あり、1043本の真数千臂の像として国宝に指定される。大阪市立美術館などの調査により、随分と詳しく分かったその重要な像は、極めて精巧な近代の安全設備によって守られながら、しかし毎月18日に我々に微笑んでいただける。
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