開基:性空上人 本尊:六臂如意輪観音菩薩 宗派:天台宗 西国33観音霊場 第27番札所 播州薬師霊場 第16番札所
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姫路市の北北西、西の比叡とも言われる。市内、駅前からしばらくバスに乗り、かなりの郊外にある書写山にはロープウェイにて上る。山上に至ると和泉式部の謂れの看板が次々と並んでおり、この寺が和泉式部と何か関連があるのがわかる。やがて道は左右に分かれる。右は本参道であり歩きとなり、仁王門を通る。足のお悪い方は左側の道・防災道路を取ると、馬車が運んでくれる。ややこしく入り込んでいるとはいえ、西国本尊本堂の磨尼殿の辺りで左右の道はひとつになるので間違えはしない。 |
湯屋橋を渡り本堂前へ。前に目をやられるが、橋の手前には護法石、俗に言う「弁慶のお手玉石」がある。こんな大きな「岩」をお手玉にしていたのだろうか。豪傑にはいろいろな逸話が残るが、ここ円教寺は弁慶、幼名・鬼若丸が7才から10年間修行したとのことで、いろいろなものが残っている。 磨尼殿は本尊如意輪観音が祀られた本堂、西国の納経所となっている。私が知っている範囲では「京都東山清水寺」、「奈良桜井長谷寺」と並ぶ大きな舞台造りの建物である。 性空上人は京都生まれ、36歳に出家し念願の僧になった。京都から九州を経た後、書写山に庵を結び、如意輪観音を祀ったのが慶保3年(966)、この寺の創建である。数多くの業績を残し、寛弘4年(1007)98歳で往生した。 |
さて西国目的の方からすると、磨尼殿でことは済むのであるが、こちらは焼失により昭和8年の再建。それに比べもう少し古い堂宇が残っているのがこれから。私も西国お納経の際に、この奥に古いお堂があるので見ていかれたら、と教えてくださった。 コの字型に並んだ3つの堂宇は磨尼殿よりも古いものが残っている。向かって右、大講堂は986年花山法皇の勅願により創建、円教寺の号はこのとき賜った。建物は室町初期のものらしい、僧侶の修業道場。 左は常行堂、創建などは不詳である。大講堂と向かい合わせであり、舞や雅楽が行われた。 中央が食堂、承安4年(1174)後白河法皇の勅願で創建。3堂は元徳3年(1331?)焼失したが直ちに再建。食堂は現在は内部に寺宝が展示されている。2階のガラス張りの戸棚には「弁慶の勉強机」がある。 3堂右奥に弁慶の鏡井戸がある。昼寝をしているうちに顔にいたずら書きをされた弁慶が、泉に映ったその顔を見、怒ったあまり大暴れし過ぎ、堂宇が全焼したとか。 |
さて、弁慶の鏡井戸の脇を通り抜けると開山堂へ。現存する建物は江戸時代のもの。軒角を支える力士は左甚五郎作。北西の力士は、あまりの重さに逃げ出したとの伝説がある。 開山堂右奥に和泉式部の歌碑、上ってきたときの話がここでやっと見れる。藤原道長娘、一条天皇の中宮彰子が円教寺に参拝、性空に面会を申し出たが断られた。お供の和泉式部が歌を読み伝えたところ、性空の心を打ち、無事に会えたそうである。 西国中興の祖、というよりも今の巡礼札所を整備した花山法皇は政争により出家、ここ書写山の性空を訪ね西国観音霊場復興を果たされた。西国の霊場たるお寺であり、見るところは多い。 |
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2008年盆に大きなニュースが流れた。
性空上人坐像頭部に遺骨 書写山円教寺の開祖 大変な感慨だろうと思う。その一方で、まだまだ現代の日本は、昔の日本の奥深さを知らないんじゃないのか?とまで思わせてくれるうれしいニュースである。 |
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