 南大門
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 金堂
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推古天皇30年(622)、まだまだ若い御年49歳の2月22日に太子は没せられた。太子は27歳の時にこの地を御廟の候補地とし、47歳の時に廟をお造りになった。この磯長山には、2ヶ月前に亡くなられた生母穴穂部間人(あなほべのはしひと)大后と、1日前(同日との説もあり)に亡くなられた后の膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)が合葬されている。
この地に推古天皇により方6町が与えられ霊廟守護が置かれたのが寺の始まりといわれている。一方で聖武天皇の勅願により七堂伽藍が建立された神亀元年(724)を始まりとする説もある。寺を御廟と見るか、伽藍と見るかの違いであろうが、太子を祀る寺であることには何の疑いもない。ふと推古天皇の甥で摂政を勤められた御身分としては「神社」かな、とも思うのだが、むしろご自身がなされてきたことを鑑みると、寺が妥当なのであろう。
その後の日本において仏教を学ぶ時、やはりここは一大聖地だったのであろう、高僧の参篭は後を絶たない。弘法大師、承応大師、親鸞聖人、日蓮上人、西山国師など。金堂の御本尊は如意輪観音であるが、脇侍の不動明王、愛染明王は弘法大師の作と伝えられる。また境内には親鸞聖人像を祀った見真大師堂、弘法大師堂などもある。
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