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【JTB】京都・大阪・近畿のおすすめ旅館・ホテル


え い ふ く じ
叡福寺



太子御廟
山号:磯長山
本尊:如意輪観音
宗派:単立

新西国33観音霊場 客番札所
河内西国霊場 第21番札所
仏塔古寺18尊巡礼 第2番札所
聖徳太子霊跡 第6番札所

住所:大阪府南河内郡太子町2146
電話:0721-98-0019/0059
拝観料:200円(宝蔵)/境内自由
(参拝の際にはご確認ください)


南大門額縁(岸信介書)
 近鉄長野線喜志駅を降りると、駅前に「聖徳太子御廟」「小野妹子之墓」の大きな石碑。それなりの趣向の方や地元の方にはお馴染みなのだろうが、御誕生所橘寺とか太子の御廟は、活躍された法隆寺や四天王寺などに比べ、割に知られていないように思う。ここが太子自信が定められた太子の眠る地である。

 駅前からのバスで太子前下車。バスは喜志駅からの循環と、近鉄南大阪線上ノ太子駅へ行くものとがある模様である。太子前辺りは道は狭くなっているが、参拝の方々も多い模様である。新西国8番札所西方院は道を隔てて隣り合わせ、こちらは太子に仕えた3女の尼寺。

 大阪南部に太子にゆかりの地は多く、八尾市太子堂の勝軍寺を下の太子、羽曳野市野々上の野中寺を中の太子と呼ぶのに対して、この寺を「上の太子」と呼ぶ。


南大門

金堂
 推古天皇30年(622)、まだまだ若い御年49歳の2月22日に太子は没せられた。太子は27歳の時にこの地を御廟の候補地とし、47歳の時に廟をお造りになった。この磯長山には、2ヶ月前に亡くなられた生母穴穂部間人(あなほべのはしひと)大后と、1日前(同日との説もあり)に亡くなられた后の膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)が合葬されている。

 この地に推古天皇により方6町が与えられ霊廟守護が置かれたのが寺の始まりといわれている。一方で聖武天皇の勅願により七堂伽藍が建立された神亀元年(724)を始まりとする説もある。寺を御廟と見るか、伽藍と見るかの違いであろうが、太子を祀る寺であることには何の疑いもない。ふと推古天皇の甥で摂政を勤められた御身分としては「神社」かな、とも思うのだが、むしろご自身がなされてきたことを鑑みると、寺が妥当なのであろう。

 その後の日本において仏教を学ぶ時、やはりここは一大聖地だったのであろう、高僧の参篭は後を絶たない。弘法大師、承応大師、親鸞聖人、日蓮上人、西山国師など。金堂の御本尊は如意輪観音であるが、脇侍の不動明王、愛染明王は弘法大師の作と伝えられる。また境内には親鸞聖人像を祀った見真大師堂、弘法大師堂などもある。


多宝塔
 太子の御廟は勿論誰でも何時でも内部に入れるものではないが、円形の古墳のようである。しかし、その土の山から3層の屋根が出ている姿は独特である。それは、古墳そのものが、作成された時から如何に大事に今日まで守られてきたかを見ることができる。


推古天皇陵

小野妹子墓所
 この周辺はやはり天皇陵が多いのだが、推古天皇陵と小野妹子の墓所がある。太子を含めこの3人の時代をはずして日本の歴史は語れない。体現してみるのは良いことであろう。


新西国観音御朱印

河内西国観音御朱印

仏塔古寺18尊御朱印