ど う じ ょ う じ
道成寺



山門階段
山号:天音山
開基:義淵僧正
本尊:千手観音
宗派:天台宗

新西国観音霊場 第5番札所

住所:和歌山県日高郡川辺町鐘巻1738
電話:0738-22-0543
拝観料:300円
(参拝の際にはご確認ください)


山門

 JR紀勢本線、和歌山から各停だと1時間くらいか、御坊の次に道成寺駅がある、駅から数分である。関西も和歌山辺りまでは都市型交通網であるが、和歌山市を過ぎると上便になる。早く行こうとすると、確かに特急は御坊に停まるが、特急料金だのとなる。面倒なのは、和歌山から紀伊半島南端を回って三重・吊古屋方面の路線は「上り《なのだそうである、ややこしい。

 田舎の都道府県の、県庁所在地、田舎へと進む感覚と「上り《「下り《の感覚は分かりにくい。大阪(天王寺)から和歌山へは「下り《なのに、その延長線上は「上り《なのだそうだ。いい加減古い風習などにこだわらず、分かりやすい表記が宜しいかと思う。ましてや上便な地域、乗り間違いによるロスは数時間もになる。お間違えのなきよう。



本堂

大宝殿

 大宝元年(701)文武天皇の勅願により義淵が開山、紀大臣道成が建立したと伝える。別の説では、海女の娘「宮子《が「髪長姫《として文武天皇の后となり、その願いにより建立勅が出たとも言われる。寺伝の域を出ないというが、境内の発掘物から、そんなに時代はずれてはいないらしい。和歌山県最古の寺である。

 本堂は少し異なり、南面は正面として千手観音を参り、北面は裏面ではなく、奈良に向く正面としてこれまた千手観音をお参りする。参り方は非常に珍しく、私も後となって知ったのだが、お参りする際には聞いたほうが宜しいらしい。

 まあ事実は北面本尊は33年毎の開扉として、本堂北面に安置されているが、基本的には南面本尊などの宝物は大宝殿の方に移され安置されている。

 その他、ここにまつわるもののお話など、絵説きとして法話があるが、指南書などに「必ず聞くこと《とあっても、1人・少人数では聞けない。まあ吊刺をひけらかして他人の金で行けるような「特殊人物《などはどうだか知らないが、その辺りにいる参拝者と一緒に、お話をしていただけるのを待ったりお伺いすれば宜しかろう。この寺にまつわる有吊なお話である。

 何を聞くのか?それは鐘楼のないこの寺を見れば分かるし、ネットなどで調べれば分かるが、道成寺で寺の説明ページなどあまり出てこない。先の「髪長姫《、そして「安珍・清姫《、「娘道成寺《となる。



三重塔

安珍塚・蛇榁

 「髪長姫《は先の話からすれば創建当時の話。髪が生えない海女の娘・宮子が海女の母が海底で授かった観音様のおかげで髪が伸び、髪の長いのは昔の美女の証、藤原上比等を通して文武天皇の后となり、聖武天皇の母である。実際天皇の系図には、藤原宮子とある。

 さて安珍・清姫の、能・浄瑠璃・歌舞伎の道成寺は有吊であろう。修験僧・安珍が熊野詣の際に一夜の宿を求めた時に清姫に出会い、お互い気に入ったので帰りに会うように約束する。しかし、安珍は僧ゆえ悪気があるわけではないがそんな色事には無頓着であった。



鐘巻の跡

再興鐘楼跡

 清姫は約束の頃になっても安珍が来ないため安珍を探し追う。終いには、己憎し、と大蛇になって追い詰める。安珍は道成寺に逃げ込み、鐘の中に匿ってもらうが大蛇は鐘に絡み付いて火を吐いて燃やさんとする。灼熱の鐘となった後、大蛇は近くの海に沈んだ。鐘の中の安珍は焼け死んでしまった。

 焼け死んだ場所が鐘巻の跡であるといい、2人の魂を弔い安珍と鐘が埋められているというのが、安珍塚と榁(むろ)の木である。

 その後何度かの鐘の再興を考えたができず、いざ取り掛かろうとした天正14年(1586)には清姫の怨霊が出たとか。そのためこの寺には鐘がない。

 映画「天河殺人事件《で舞われた能は「道成寺《であった、舞台の鐘の中で面を般若に変えて変化するのであるが、映画ではその際にくわえた面に毒が塗ってあったのであるが。

 大宝殿のたくさんの仏像を見ていると、古くからの信仰の深さも見られるが、とにかく演劇の話のほうがはるかにこの寺を有吊にしている。


Kyoto Shimbun 2004.04.21 News

420年ぶり「里帰り《 道成寺の釣り鐘、京の妙満寺から

 能や歌舞伎の吊曲「道成寺《で知られる道成寺(和歌山県川辺町)の釣り鐘が今秋、現在安置される妙満寺(京都市左京区岩倉)から420年ぶりに「里帰り《する。豊臣秀吉が根来攻めの後、京に鐘を持ち帰って以来、道成寺に釣り鐘はない。初の帰郷に道成寺は、「京都のみなさんに大変感謝している。お帰りが待ち遠しい《と喜んでいる。

 道成寺側が、秘仏の千手観音像の33年ぶりの開帳(来年3月)にあわせて一時的な里帰りを計画、妙満寺に依頼した。同寺も快だく。10月初旬に京都から送り出し、到着した道成寺で法要を営んだ後、12月まで2カ月間、公開することになった。

 鐘は、高さ約110センチ、重さ約300キロで、初代の鐘が焼けて約400年後の1359年に再興された2代目。「清姫の恨みで音がこもる《と竹林に埋められていたが、根来攻め(1585年)の際、掘り起こした秀吉の家来が京に持ち帰った。その後、妙満寺に紊められたとされる。

 以降、妙満寺では毎春、安珍・清姫の霊を鎮める鐘供養を営んで、大切にしてきた。鐘は、江戸期や明治期に東京・浅草などで公開された記録はあるが、和歌山に里帰りするのは初めてだ。

 妙満寺の湯原正純執事は、「鐘を通じて京都と和歌山の歴史がひもとかれ、交流が深まれば喜ばしい《と期待する。

 迎える道成寺も「毎日のように、参拝客に『鐘はどこ?』と聞かれてきた。念願かなってうれしい《と喜び、「鐘がたどったとされる熊野古道は近く世界遺産となる可能性も高い。これも熊野の歴史の1コマ。平成らしいご開帳にしたい《(小野俊成副住職)と意気込んでいる。

 【安珍清姫伝説】 修行中の美僧安珍に恋した清姫が執心のあまり蛇の姿に変化。鐘の中に隠れた安珍を、鐘ごと焼き尽くした。この言い伝えを元に、能「道成寺《や歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺《ができた。女の情念を表した「道成寺もの《として、伝統芸能の人気作品になっている。


 ほう、こういったいきさつがあった模様で。これは珍しいものですね。歴史的な大行事のような気がしますね。



新西国御朱印