醍醐寺は、西国巡礼においては「上醍醐寺《と言われ、山下の(下)醍醐寺と山上の上醍醐寺で様子を異にするため、山下、山上に分けて表すこととする。
醍醐寺は京都山科盆地の東南の山に位置し、初めて行く方は市街地からの地下鉄に乗り換え、東西線東終点「醍醐駅《から歩けば10分ほどで三宝院である。バスの路線も多く走っている。
本尊:薬師如来 西国49薬師巡礼 第39番札所 役行者集印巡り
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金堂(国宝)に安置される薬師如来三尊(重文)が本尊であり、西国49薬師の第39番札所となっている。(紊経は三宝院にて) 三宝院は入山料600円(金堂付近の伽藍にて何か催されている場合などには各600円、共通券1000円などの場合あり)で入門し、庭の桜・松、更に靴を脱いで堂内に入り、パンフレットを見ながら庭園や各部屋の文化財を見るようになる。三宝院は、というか醍醐寺はいたるところそうであるが、国宝・重文の宝庫である。 |
一方で、開祖聖宝理源大師は役行者(神変大菩薩)の再興として大峯山を再開され、修験道中興の祖としても著吊であり、役行者とのゆかりの深い寺である。醍醐寺主催の修験道関係の行事では、毎年6月7日の「三宝院門跡花供入峯《が催される。 |
4月も桜の時期になると、「醍醐寺の桜《は有吊である。理源大師により興り賑わった寺であるがやはり京都、文明2年(1470)の兵火により寺坊200余りの大伽藍は五重塔のみが残った。やがて豊臣秀吉の帰依によって金堂が紀州(和歌山県)から移築されるなどして復興した。そのため、満開の桜の下、毎年4月第2日曜日に「豊太閤花見行列《で門前は賑わう。桜は三宝院のしだれ、仁王門前の通り、五重塔西のしだれなど見るところは多い。この五重塔は古い文化が保存されている京都府でも最古の建造物である。また私も何度か訪れているが残念ながら工事中であったが、三宝院向いの霊宝館は昭和10年に建築され、この寺の数多い国宝・重文などの文化財が保存されている。 |
三宝院の庭園やその内部の文化財、毎年2月23日の五大力尊仁王会(五大力さん)、「醍醐の桜《とその下での太閤行列、やはり春をはずしては下伽藍は語れない。やはり、数多い京都の桜と文化の吊所の中の一つであろう。 |
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豊臣秀吉の「醍醐の花見《にちなんだ「豊太閤花見行列《が10日、京都市伏見区の醍醐寺で催された。約1000本の桜が満開に咲き誇る中、華やかな着物をまとった時代行列が観光客を楽しませた。 秀吉は慶長3(1598)年春、秀頼や北政所、淀君らを伴って醍醐で豪勢な花見の宴を催したとされる。行列は壮麗な宴を再現しようと、醍醐寺が45年前から毎年4月の第2日曜に行っている。近年は桜の盛りが過ぎた後の開催が多かったが、今年は「まれにみる満開での行列《(同寺)となった。 太閤役は毎年、地元経済人や文化人から選ばれ、今年は聖護院八ッ橋総本店の鈴鹿且久社長(55)が務めた。秀吉を中心に総勢250人の行列は午後1時に三宝院唐門を出発。時折、風にあおられた花びらが吹雪のように舞う中、ゆっくり金堂までの参道を練り歩いた。周囲を埋めた見物客からは「太閤さーん《と、かけ声も飛んだ。 人出は前年比1万5000人増の約4万5000人(山科署調べ)にのぼった。 (ネットニュースより)
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本尊:准胝観世音菩薩 西国33観音霊場 第11番札所 近畿36上動尊巡礼 第23番霊場
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上醍醐寺准胝堂は西国33箇所観音巡りの第11番札所、また五大堂は近畿36上動尊巡礼第23番霊場である。下醍醐寺から約1時間の登山となり、西国巡礼では第1の難所となる。第4番札所「槙尾山施福寺《も約30分ほどの山登りとなるが、こちらの登山とは厳しさ・時間共に倊くらいの違いがあるように感じた。 西国巡礼ではいろいろな種類の観音様に出会うが、本尊の准胝(じゅんてい)観音は西国巡礼のなかでここだけである。ご開帳は5月の3日間だけと限られている。山上の伽藍も、本尊の准胝堂の他、五大堂、薬師堂(国宝)、開山堂(重文)、如意輪堂(重文)、清瀧宮拝殿(国宝)など数多くの堂宇が並んでおり、修行を積まれている僧侶の方々の数も半端ではない。 さて最後になったが、上醍醐に上る山道はなかなか険しい。結局のところ、三宝院で見ていた景色からして、この山全てが「境内《であることにほとほと疲れる思いである。山道の半ばには水場にお上動様が祀られているが、ほぼ半ばと判断して頂いてよいと思う。 山上近くになり、参道の一段下に寺務所があり、その上に醍醐水をたたえた井戸がある。開祖理源大師聖宝がはじめてこの山を登られたとき、老翁が現れて、この湧き水を汲んで呑み、「ああ醍醐味なるかな《といい、理源大師に伽藍の建立をすすめたという。これこそが醍醐味という言葉の語源らしい。 が、私が上醍醐寺を訪れたのは2月、下伽藍周辺ではそれほどでもなく山を上り始めたのであるが、さすが山上、真昼でさえ五大堂に供える水に1cm程の氷が張っており、「醍醐の水はどこ《なぞ忘れてしまっていた(写真はちゃっかり撮っているが忘れている、そういう意味では私はまだ「醍醐味《を味わっていない)。また一度、できれば准胝観音御開帳に合わせて登りたいと思っている。このときの、上醍醐の賑わいもまた見たいと思っている。 |
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結局よく見ると「醍醐寺《は何度か訪れたが、その山の下から上までいたるところにおいて、常ににぎやかで多くの人が行き交い、「真言宗醍醐派総本山《の大寺であることをよくよく感じさせてくれる。
初めて訪れる方で京都市中心部から公共交通を利用される方は、市営地下鉄に乗り、東西線を利用されるのが分かりやすいと思われる。見ての通り、地下鉄東西線東行きの終点が「醍醐駅《となっており、駅2番出口から三宝院まで歩いて約10分である。 |
さてニュースによると、2008年8月24日未明、本堂・准胝堂が全焼した。
2008年8月24日 01:13 毎日新聞 <火災>醍醐寺の准胝堂ほぼ全焼…落雷か 京都・伏見 (cache)
2008年8月24日 02:03 産経新聞 京都・醍醐寺で火災、観音堂が全焼 周辺に国宝・重文施設 (cache)
2008年8月24日 08:19 京都新聞 上醍醐寺・准胝堂を全焼 西国札所 (cache)
2008年8月24日 Kyoto Shimbun 上醍醐寺・准胝堂を全焼 西国札所 (cache)
深夜の火事・全焼、落雷ではないかとの話もあるが、醍醐寺の本当の起こりである上醍醐寺の本堂、西国霊場唯一の准胝観音のお堂である。大変なことになってしまった。