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【JTB】京都・大阪・近畿のおすすめ旅館・ホテル

あ な お じ
穴太寺


庭園・多宝塔
山号:菩提山
開基:大伴古磨
本尊:聖観音菩薩
宗派:天台宗

西国33箇所観音霊場 第21番札所

住所:京都府亀岡市曽我部町穴太東辻46
電話:0771-24-0809、22-0605
拝観料:500円(本堂・庭園)
拝観・納経時間:8:00〜17:00
(参拝の際にはご確認ください)


山門

 JR嵯峨野線で京都駅から20〜30分で亀岡駅、田舎である。穴太は西に4kmほどになろうか、歩くと1時間くらいか。寺の近くまでバスがあり、穴太口下車徒歩10分。

 すぐ隣には金剛寺(応挙誕生の寺)や少し西に入れば神蔵寺、稗田野神社などがある。



本堂

 慶雲2年(705)文武天皇の勅命により大伴古麿が薬師如来を安置して寺を建立したのが創建。しかし時代の流れの中しばらく寂れていく。

 村上天皇の時代(926〜967)この寺の近くに宇治宮成という乱暴な信心のない男が住んでいた。妻は夫に反して大変信心深い女性であった。あるとき京都から感世という仏師を招き、高さ1mほどの聖観音像を刻んでもらった。応和2年(962)仏像は完成し、妻はその礼に夫に頼んで葦毛の馬を与えた。喜んだ感世は馬に乗って京に帰るが、宮成は馬が惜しくなって、帰り道を待ち伏せて感世めがけて白羽の矢を放った。感世は死に、宮成は何食わぬ顔で馬を連れて家に帰った。



多宝塔

鐘楼

 ところが感世の作った観音様を見ると、その胸には矢が刺さり、血を流し、苦痛をこらえて涙ぐまれていた。慌てて今の馬を見に行くと、馬の姿はない。京の感世のところに行くと、途中で盗賊に会ったが観音様のおかげで無事に帰れた、という。観音様が身代わりになられたことを悟ると同時に自分を悔い、宮成は仏門に入り、後にこの観音様を御本尊に穴太寺を建立した。33年に1度御開帳されるこの観音様は左胸に矢傷が残るという。

 また本堂中の右手には大涅槃釈迦像であり、お布団を着て横になっておられる。病気平癒でよくなでられ、つやつやとしている。



庭園

 またこの寺にはあの「安寿と厨子王」の安寿姫の肌守りの観音様が残る。山椒太勇に捕まり奴隷生活を送るが、山椒太勇に焼け火箸で額を焼かれても、傷口に仏像を当てると火傷が治り、仏像に傷が残る。安寿は厨子王を逃がすが、かくまったのが穴太寺だった。厨子王は後にこの観音様を穴太寺に奉納した。5cm足らずの小さな仏様らしい。



西国観音御朱印

Kyoto Shimbun 2008年1月3日(木)
ひらひら福札、新春に舞う 亀岡・穴太寺で福給会


舞い落ちる福札に手を伸ばす参拝者たち(亀岡市曽我部町・穴太寺)

 やぐらの上から参拝者に福札を授ける「福給会(ふくたばえ)」が3日、京都府亀岡市曽我部町の穴太寺(あなおでら)で営まれた。新春の風に札がひらひらと舞い、境内は今年1年の無事を願いながら手を伸ばす参拝者の歓声に包まれた。

 福給会は、風に飛ばされた同寺の札を手にした家が栄えたという故事にちなんだ正月の恒例行事。本堂前にひさしと同じ高さのやぐらを組み、特に御利益がある赤札3枚を含んだ3000枚の福札を上段から授けている。

 本堂で五穀豊穣(ほうじょう)や世界平和を願う法要が営まれた後、年男の信徒ら3人がやぐらに上がり、うちわであおぎながら福札をまいた。

 参拝者たちは、風に流されて不規則に舞い落ちる札を両手を伸ばしてつかんだ。3枚しかない赤札が見えると一層大きな歓声を上げ、懸命に行方を追っていた。




   
   
1999.06.05 参詣
2004.02.20 作成
2008.03.14 更新